学年度の修業課程が終了したので、最後に小倉百人一首と花札あそびをしました。いつも厳しい授業についてきている生徒へのちょっとした息抜きです。ビデオ・携帯ゲームが流行している昨今では、日本人にとってもあまり馴染みのない遊びになってきているので、日本の文化に親しむ上で、良い機会となりました。また、花札は、日系移民によるハワイ独特の遊び方があるので、それも楽しみながら体験しました。
小倉百人一首
小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した藤原定家が選んだ秀歌撰です。もともとは、鎌倉幕府の御家人の歌人でもある宇都宮蓮生の依頼により、定家が作成した色紙です。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のために定家に色紙の作成を依頼しました。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたということです。小倉百人一首が成立した年代は、はっきりしませんが、13世紀の前半と推定されています。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から「小倉百人一首」という通称が定着したということです。
この『百人一首』は現在では歌集としてよりも、むしろ「かるた」としての方が有名で、特に正月の風物詩としてなじみが深くなっています。「百人一首かるた」は、百枚の読み札と同数の取り札の計二百枚から構成されます。読み札と取り札はともに花札のように紙を張り重ねてつくられています。読み札の表面には大和絵風の歌人の肖像と作者の名、和歌が記されており、取り札には全て仮名書きで下の句だけが書かれています。読み札には色がついていますが、取り札には活字だけが印刷されています。
授業では、通常のかるた取りとして活用しました。取り札を床に広げて、和歌を詠んで下の句を探すというやり方です。この百人一首には、和歌の朗詠カセットテープが付属されていましたが、再生しようとしたところテープが切れました。もう数十年前の製品ですので、当然ですね。また、オンライン授業の際には、日本のかるた競技の様子などを動画で紹介したこともありましたが、今回は通常のかるた取りにしました。詠み手は、iPad君が引き受けました。
生徒は最初、戸惑っていたものの慣れてくると競争して取り札を集めていました。そして、「けふ」と書いて「きょう」と読まなければならい等、今までにないひらがなの読み方なども学習しました。生徒たちは一時ですが、雅な和歌の世界を楽しんだようでした。
花札(さくら)
ハワイの花札の遊び方は独特で、ハワイ島の妻の祖母から教わりました。義祖母は当時、高齢者用のコテージで一人暮らしをしていて、近所の仲間と花札遊びを毎日のようにしていました。気丈な方で、90歳半ばを過ぎても本当にしっかりしていました。典型的なたくましき明治の女性という感じですね。また、昔の移民船による船旅の様子やハワイの日系移民の生活ぶりなど貴重な話も直接聞くことができました。
ハワイの花札あそびは、日本の花合わせに似ていますが、もっとシンプルで農民の生活に根差した役を採用しています。例えば、役は、同種の3枚の短冊、同種の3枚の短冊と同じ月に描かれている絵札、観桜と名月と杯、猪・鹿・雁の農作物に被害を与える「野荒らし」で、いずれかの3枚の役札を揃えると相手から点数を奪えます(日本でお馴染みの猪・鹿・蝶はありません)。また、札による得点も20点札(鶴、観桜、名月、鳳凰)、10点札(短冊、黄色桐)、5点札(絵札)となっており、日本の花合わせとは少し異なります。なお、義祖母は、持ち点がマイナスになると「バサ」(Busted:破産の意味)と宣言していました。(詳しくは、ハワイの花札参照)
生徒たちは最初、ゲームを理解するのに多少苦労したものの、最後には相手の役を妨害するなどの戦略を駆使してゲームを楽しんでいました。対人ゲームは、頭脳を使ってしかも臨場感を味わえるのでとても良い勉強になりますね。
時には、家族でゲームを楽しむ時間をつくるのも、お互いの絆を深めるのに必要です。是非、笑顔で楽しい一時を家庭でも試してみてください。
マハロ!