こども学習教室・日本語で学ぶ国語と算数

七夕に思う「教養」のお話

昨日は七夕でしたね。

夏期講習のいいところは、教科書ベースの年間カリキュラムという縛りがないため、自由に授業が出来ること。

2年生以降にもなると普段はなかなか時間を割けない年間行事関連の授業が出来るのも、夏休みならではです。

ということで、七夕の昨日は、七夕物語を読み、ストーリーに関する簡単な問題プリントをやってから、短冊にそれぞれの願い事を書きました。このクラスの子どもたちの願いは…

「9おくねんも生きられるようにしてください」や「お金がいっぱいほしい」といった貪欲なもの(笑)から、「コロナがなくなりますように」とみんなの願いを代弁したもの、そして「プールに行きたい」「ホテルに行きたい」「ディズニーランドに行きたい」という子どもらしい「どこかに行きたい系」など、微笑ましいものでした。

ところで七夕と言えば「天の川」というキーワードがありますが、この「天」と「川」という漢字、どちらも一年生の漢字。ですが「天の川」と書いて「あまのがわ」と読める生徒はごく一部。「てんのかわ」とでも読めれば、一応それぞれの漢字は覚えているんだなーと評価したくなるくらいです。確かにそのまま読んだら「てんのかわ」。でも違うんだよ、という説明は、漢字テストの間違い直しの時間だけでは十分に伝えられません。

言葉というのは、そこに生活や文化や物語があるからこそ生きているもので、ただ漢字のドリルをやるだけでは実体験に結びつかないものです。ハワイ育ちの子どもたちは、日本で育つ子どもたちに比べ、日常生活で触れる日本語の語彙が圧倒的に少ないので、漢字を覚えるのも一苦労です。だってその漢字が使われてる言葉を知らないのですから。漢字そのものの形をいくら覚えても、その漢字が使われている言葉が分からなければ、何の面白みもなく、また、実際に運用することも出来ません。

そこで大切になってくるのが、やはり「本読み」ではないでしょうか。昔話や世界的な名作と言われるものはもちろん、幼児向けの絵本であっても、文学作品の中に出てくる言葉というのは、日常会話で使われている語彙とは異なります。そういった文語的な語彙に親しみがあるということは子どもたちの財産になります。また、名作と言われるお話を知っていることは教養の一つです。

アインシュタインの言葉で「教養とは学校で習ったこと全てを忘れた後に残るものだ」というものがあります。誰でも、昔読んだ本のことは忘れるものです。でも、お話を読む度に、何かしら感じ、何かしら考えるわけですよね。お話の内容や学習した知識自体は忘れてしまっても、その「感じて考える」積み重ねの中で、考える力や人格や品位が育っていくのだと思います。

だから私は日本語教育・国語教育を単なる知識の詰め込みにしたくない、と考えています。たくさんのお話に触れ、また自由に創作し、「考える力」と「表現する力」を身に付けてほしい。私自身が文学部に入るほど国語好きになったのも、漢字や文法の勉強が好きだったからではありません。物語や言葉遊びが好きで、本を読むことや文を書いて表現することが面白いと思ったからです。無味無臭な知識だけで教養は作られません。感じて考えること、そしてそこに喜びを見出すこと、子どもたちにもそういった経験をして、日本語を好きになってほしい、そんな願いを込めたカリキュラム作りを今後も実践していきたいです。

以上、そのみ先生の「七夕に思ふ」でした。

↑あえての歴史的仮名遣い(笑)はい、私、こういうの大好きな子どもでした。(余談)

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